土佐手縞 福永世紀子さんの織物

染と織のコト

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

素敵な笑顔でお話されながら、見る見るうちに糸を紡いでいく。その姿も美しい。右手と左手のリズム、太さを調節する指先の感覚。多くは語られないが「自然である」までにはどれほどの時間を要しただろう。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

綿の糸がこれほど艶やかであるとは。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

貴重な貴重なノート。日々あらたなアイデアが浮かび、描くことを欠かさない。そのうちのいくつかが布として世に現れる。平織りだけでなく複雑な綜絖をも使う。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

色や質感は残念ながら筆者の力量では100分の1も表現できません。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

触れるとざんぐりしているようで柔らかく、しなやか。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

ユニークな私設展望台。気をつけて楽しもう。

土佐手縞 福永世紀子さんの織物-染と織のコト

視界全面に広がる風景。これも筆者の力量では、感動の1000分の1も表現できません。

 ある茶会で見た仕覆のざんぐりとした質感と美しい色合いが印象深く、頭の片隅に残っていた。丹波布という。

 福永世紀子さんという方が、高知県でその布を織られるという話を聞き、お伺いすることにした。

 高知空港へは小さな旅客機でも大阪伊丹空港からほんの1時間ほど。南国の海岸線を眼下に高知龍馬空港に降り、車で2時間程北へと向かう。更に、豊かな水量の吉野川を右手見ながら西へ進む。早明浦ダムまであと少しというところで、福永さんが待っていてくれた。

 「お昼まだでしょ。」と誘われ風変わりな喫茶店兼レストラン(『カフェ』と呼ぶべきなのだが、この素敵なムードの店には合わないように思う。)で名物の絶品美味なカレーライスを大汗をかきながら頂いた。

 よく知られているとおり、福永さんは細見華岳(故人 重要無形文化財保持者)という綴織りの大家についておられた『プロ』なのだが、ある時、丹波布に魅せられてしまう。理屈ではなく、好きになってしまっては仕方がない。しばらくこのもめん糸から作られる布を学んだ後、山川の自然豊かなこの地に工房を構えた。

 ちり一つない清潔に整理された工房に伺う。

 福永さんの指先から、いわゆる木棉から糸を見る見るうちに紡がれてゆく。木綿の糸の艶の豊かさに驚く、これを草木の染料を使って、染を繰り返し織物の原料である糸を作り出す。

 これもまた、丁寧に整理された御自身の過去の作品とともに古い縞帳を見せてもらった。

 「こうして残っている布はね。なにもできないのよね。縞をちょっと太くする、すこし位置をかえる。そうするとだめなのよね。結局この布の美しさは完成されてしまっているのね。」

 江戸から明治にかけて織られたと考えられる古い縞帳はあくまでも参考資料なのだが、現代の作家をもうならせるものを作り出していた先人の感覚や技術には驚くしかない。

 福永さんは毎日、毎日必ず原案となるスケッチを描く。湧き出る泉のようなそのアイデアは、この古人のデザインとも異なり、常に変化があり、工夫され、新しい懐かしさを生み出している

 予定を大幅に上回った訪問になってしまったが、御自宅を辞退しようとすると、少し案内したいところがあると車で先導していただいた。

 10分ほど進んだところから急峻な斜面になってきた。小さめの車がやっと1台進めるくらいの曲がりくねった路を登ってゆくと風がだんだんひんやりとしてきた。

 車を降りて、一風変わった私設の展望台を登ると、視界のほぼ全てにそれは見事な棚田が広がっていた。突然、そこへ風が舞ってきた。棚田一枚一枚の青々とした稲がまるで湖面に映えるさざ波のように揺れる。

 織りを生業とする方は、もちろん大都会の真ん中にだっておられる。しかしこの風景を目の当たりにすると、つい今しがた見てきた布の美しい縞や格子が、どうしてもこの風ぬきに考えられないのだ。確かにこの地にしか流れない気体と香りが福永さんの布に宿っている。福永さんの織られる布はそんな布なのだ。