染と織のコト
「あけずば織」と名付けられた極めて薄い織物を織られる沖縄県在住の上原美智子さんの織物には十数年前に縁あって出会った。
日本だけでなく他国からの評価も高い上原さんの織物は、それはきものでも帯でもそうなのだが、爽やかで心地よい触感とともにその裂(きれ)がまとう空気の様子が不思議なくらい感じられるものなのである。
織物は経(たて)と緯(よこ)の糸が交差してその組織をつくっていく。
経、緯の糸そのものは色や太さ、撚りの違いがあり、場合によっては素材そのものも異なる物質を組み合わせてたりして、その表情をまず形作る。
それらが経、緯に組重ねられ織物を構成していく。当たり前のことだが織られた織物の表情は経、緯の糸自身の表情でもあるのだ。
で、あるならば、この不思議な裂がまとう空気は糸そのものが持つ特質なのだろう。
上原さんの生み出す織物には、まるで美しい海辺に朝の光が織り成す斑紋ようなきらきらとした空気が宿っているようなのだ。
それは、染められる色の元になる染料が琉球の草木であるからだろうか?
あるいは、わずか数デニールという髪の毛よりも遥かに細い糸で裂を織られるという凄まじい経験をなさったからだろうか?
そんなことを考えながら、
ご自宅兼工房にあるとても居心地のよい居間でお話を伺った。
上原さんは、
蚕がはく糸の美しさにいつも心を動かされる、だから自分はできるだけ余計なことをせず、糸そのものの持つ美しさを引き出すことを、いちばん意識しているのです。と話された。
余計なことをせず、糸そのもの美しさ、、、そうなのだ!その思いゆえの琉球の染料であり、撚りを抑えた糸、なのだ。
「美しいものは人に労苦を強いる。」云われる。
上原さんには労苦という言葉は似合わない、と思う。が、時間を忘れて伺ったご自身の足跡には、仕事の方向性を定めるきっかけと自信になった師のコトバや、白州さんにふとかけられた一言が心に残り、語られない困難な時期を経て、この美しい織物へ続く道になってこられたのかもしれない。
どこまでも一本の糸に畏敬の念を持って織られる上原さんの織物は、杼(ひ)をひとつ入れるたびに、筬(おさ)に経糸を通すたびに、島の大気をその僅かな隙間に迎えいれる。
糸が生きていてそれらの息づかいが聞こえてくるような、裂がまるで見る者に語りかけてくるような、上原さんの織物は見るものをそんな思いに引き込んでくれる裂なのである。