染と織のコト
手かぎという道具。Tさんはこれを40年以上使っているという。持ち手は黒檀だそうだが、つかっているうちにわずかに形が変化して手にしっくりとなじむそうだ。鍵の先端部分も40年以上使ってもなんともないそうだ。形だけをまねた安い外国産のものも売っているそうだが、本物の畳を持つには弱すぎて使えないという。「畳文化」というと少し大げさかもしれないが、「道具」があるといことはそういうことなのだ。
熊本のい草。写真には写らないのだが、よくみるとストローのように中が空洞になっている。これが空気を含んで保温性や、柔らかさの源になるに違いない。最高に香りがいい。
直交を確認する道具。名前はないらしい。
まずは紙に試してみる。筆者も30回くらいやってみたが、ゆがみやずれがひどすぎた。一見簡単そうにみえる作業が習得するのが一番難しいのかもしれない
次々に敷かれていく畳。素人は手を出せない。
敷かれた畳を掃除する姿で、僕たちにそのやり方を教えてくれている。
「こんな大変な仕事は1年に1回あるかないかでっせ。」といいながら、仕事を終えた後は気持ちよさそうに畳の話をきかせてくれた。
障子から入る光が美しいのは畳の目が敷き方によって変化しているからだ。
店には大人だけでなく、よく小さいお子さまも来られる。
3才くらいの女の子が「いいにおい、いいにおい!」といいながら、ごろごろと転げまわっている。畳のい草の香りだ。
最近の建築では畳を使わない家もあるそうだが、こどもは正直に気持ちがいいのだろう店に来ると裸足になりたがるし。畳の上を走り回ってお母さんに叱られたりしている。
2年程前の話である。
畳屋さんのTさんが朝早くひょっこり訪ねて来た。
「一寸、見せてもらいますわ、よろしいか?」と一応断って、隅々まで畳を見てくれる。
かぎ状になった千枚通しのような道具を使って畳をめくっては、「うん、よっしゃ。」ひとりごちている。一通り見終わった後、
「つぎは中もかえんと、どないもなりゃしまへんで!」という。
どうやら畳の土台である床と呼ばれる部分がそろそろ寿命らしい。
Tさんはもうかれこれ40年くらいこの店の畳の面倒を見てくれている。
「ボクも年やよってに、最後になるかわからんよってに、いいかげんな仕事はしたないんで、ちょっと、、覚悟しとおくんなはれや。」
畳の総入れ替え!である。
それから半年ほどしたある日、2人の仲間を連れて、寸法をとるという。まず畳の上から、次に畳を上げて、床との高さやゆがみを測っていく。隅々まで詳しく見ていくと3時間ほどかかった。
3ヶ月くらいのちの晴天がつづいた日、一気に20畳ほど店の畳を上げてトラックで片づけていった。
床下に風を通すために3日ほど畳のない状態にした後に、いよいよ新しい畳を入れることになった。
順番にそれを3度繰り返し畳の総入れ替えが完了する。
力仕事をなにか手伝おうと思って聞くと、
「触らんといておくんなはれや。素人さんがさわりはったらわしら往生しますよってに」
プロは素人に手を出されるのを嫌う。手早く、あっという間に敷かれていく畳。
そのあとも汗だくになって、おおきな白い布で畳を拭いている。この拭き掃除もTさんたちの仕事、まだ僕たちは手を出せない。
Tさんによればいい畳は
「ここ、ちょっとみとおくんなはれ、ぴしーといってまっしゃりょ。」だそうである。
最近はいろんな建材ができて、安くて軽い扱いやすい畳も多い、しかし、本物の床やい草の良し悪しは経年変化と足へのあたりで分かるそうだ。それに、風を時々入れて、畳の表を数年おきに替えてやれば30年、40年は十分快適に使える。
心地よさと経済性は相反するものでもないのではないだろうか?暮らしの中で大切にモノと付き合えば、そこそこの経済合理性は。。。。などど小難しいことを考えなくてもキモチいいものが身のまわりにあるということは幸せだ。
Tさんの話を聞いた後、新しくなった畳でおもいっきりごろんとなってみる。
イグサの香りがまだ少しきついが、背中に感じる畳の気持ちよさにおもわず眠気にさそわれた。やっぱり畳は気持ちいいのだ。